機能不全家庭で育ちました

機能不全家庭で育った私の話

「うちは機能不全家庭でした。」

この一言では語りきれないほど、私の育った家は複雑でした。
自営業だったため、両親はいつも顔を突き合わせており、その分喧嘩も絶えませんでした。仲の悪い二匹の犬のように、本当に些細なことで言い争いが始まり、家の中は常にピリピリとした緊張感に包まれていました。怒鳴り声が飛び交う家庭内で私の心はとてもすさんでいました。

母は父を否定し、私は常に比べられていた

母は私と兄に、父の学の無さを馬鹿にし、一緒に馬鹿にするように仕向けていました。当時はそれが母のマインドコントロールだということに気づかなかったので、すっかり洗脳されていました。

母はその一方で、私には決して向き合おうとはせず、いつも否定的な態度をとっていました。

「○○ちゃんは優秀なのね、なんであんたは…」
「○○くんはピアノのコンクールで金賞取ったんだって!(私を嫌味っぽく見つめながら)あんたには何も取り柄がないわね。」

そんな言葉を日常的に浴びせられ、近所の“すごくできる子”たちと比べられて育った私は、「自分であること」に価値を見いだせませんでした。いつも孤独で、心の中は苦しさでいっぱいでした。

中学のころはいじめにも遭っていましたが、誰にも相談できず一人で抱え込んでいたこともあります。学校には行きたくない、家庭は心休まる場所ではなく勉強も集中できない、2,3人私と口をきいてくれる子はいても、本当に心を許せる友達もいませんでした。

余談ですが、亡くなった父親には言い忘れたことが山ほどあります。「パパは馬鹿じゃない。計算も得意だし、勝負強いし、素晴らしい料理人じゃない!」そんな言葉をかけてあげることができたらどんなに良かったことでしょう。後悔しても仕方がないのですが、父の最期の数年は終末医療で寝たきりで意識もなく、話すこともできなかったので、いまでもその思いを引きずっているところもあります。

兄妹関係にも深い影を落とした

家庭内の不調和は、私と兄の関係にも大きく影響しました。
お互いに心の余裕がない中でぶつかり合い、ときには激しい口論から包丁が出てくることすらありました。その当時の私が兄が怖くて嫌いで私だけが被害者だと思っていましたが、今にして思うと兄もまた被害者だったのかもしれませんね。

とても小さいころに母に買い物を言いつけられ、近所のスーパーに夕暮れ時に兄と一緒に行き、兄のアイデアで、帰りにお釣りで焼き芋を買って帰ったのですが、母に烈火のごとく怒鳴り飛ばされ、母の唐突で不条理な怒りに私たち兄妹は声を上げて大泣きしたことは、今でも触れると痛い生傷のように記憶に焼き付いています。

母はきっと釣銭を無駄遣いしたことに怒りを感じていたのではなく、私たち兄妹が小さな幸せをかみしめていたことになぜか嫉妬や、くやしさのような奇妙な感情を抱いていたのかもしれません。(うちの家庭は中流家庭でしたので、特にお金に困っていたわけでもなく、母の怒りが今考えてもとても唐突でしたので、これは単なる想像ですが…)

今、同じような想いを抱えるあなたへ

あの頃の私は、誰にも助けを求められず、自分の気持ちを押し殺して過ごしていました。
けれど今、心の問題に真剣に向き合う仕事をするようになって、あの経験にも意味があったと思えるようになりました。

もし、同じような家庭で育ち、傷を抱えている人がいるなら――
どうか伝えさせてください。

あなたはひとりじゃありません。

この文章が、誰かの心にそっと寄り添うことができたなら、私はとても嬉しいです。
私の生い立ちの話、ここでは語りつくせないほどいろいろあるのですが、今日はここまでにします。


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