愛着障害とは
「人との距離がうまく取れない」「恋愛がいつも苦しい」
そんな悩みの裏には、“愛着のかたより”が隠れていることがあります。
愛着障害とは、子どもの頃に安心して甘える経験が少なかったことで、
大人になってからも「愛されること」や「信頼すること」に
極端な不安を感じてしまう状態のことです。
私たちはみんな、誰かとの関係の中で形づくられてきました。
だからこそ、「愛され方」や「距離の取り方」が歪むと、
大人になっても人との関わりに苦しさが残ってしまうのです。
私はカウンセラーとして、嘘偽りのない姿で相談者様と向き合うことを大切にしています。
そのため、ここでは少し勇気を出して、思い出したくない過去のことも赤裸々に書いてみます。
不安型と回避型
愛着の傾向は大きく2つに分けられます。
- 不安型:相手に見捨てられるのが怖くて、愛情を確認せずにいられないタイプ。
- 回避型:傷つくのが怖くて、最初から距離を取るタイプ。
この2つが混ざり合った「不安・回避混合型」もあります。
「愛してほしいのに怖い」「近づきたいのに離れたい」という、
矛盾した感情の中で苦しむタイプです。
私自身、この“混合型”にとても近かったと思います。
人に近づきたいのに、近づくと自分を嫌いになるような怖さがありました。
性指向と「普通」への執着
私は幼いころより、おごりなどではなく、どこか人と違うという感覚があり、
ぼんやりとセクシャルマイノリティと自認していました。
でも、私の育った時代背景もあり、「異性愛こそが普通で、そうあるべき」と思い込み、
自分を矯正しようとしていました。
私は子どもの頃から、親に求められていないような感覚が常にありました。
どんなに頑張っても、心の奥で「私なんていなくてもいいんじゃないか」という虚しさが消えなかった。
そんな私にとって、“わかりやすく私を求めてくれる存在”が男性だったのです。
その結果、自分の本当の感情を無視し男性との秩序のない関係を繰り返し、
「求められること」が自分の空虚感を埋める唯一の方法だと信じていました。
けれど、出会いを重ねるほどに、
満たされるどころか、むしろ虚しさが強くなっていったんです。
そしてあるとき、ふと気づきました。
――これは愛ではなく、自分を壊す行為だ。
なぜ、私は自分を破壊しているのだろう?
その瞬間、私の身体の中で大きな岩のようなものが、ガタガタと音を立てて崩れていく感覚を味わいました。
長い間押し込めてきたものが、ようやく動き出したような、不思議な静けさとともに。
そしてその少しあと、私は思いました。
「もうこんなことはやめよう」と。
たしかそのとき、わざと口に出して言ったのを覚えています。
「やーめた。」
その一言が、私の中で何かを終わらせ、そして始める合図になりました。
その気づきと小さな決意が、私にとって依存から離れる最初の一歩でした。
内面を育てるという回復
私が立ち直れたのは、誰かに癒してもらったからではありません。
機能不全家庭に育った私は両親に何かを打ち明けたことがほとんどありません。
壊れた私の心を離れたところから見つめ、自分の内面を育てるという意識を持ち始めたからです。
たとえば、
- 感情と静かに向き合う
- 「今、自分はどう感じている?」と問いかける
- 一人の時間を“孤独”ではなく“安心”と感じる練習をする
そんな小さな積み重ねを続けるうちに、
「他人に満たしてもらわなくても、安心は自分の中で育むもの」
という感覚が、少しずつ育っていきました。
それは決して派手な変化ではなく、
静かに、自分の中に根を張っていくような感覚です。
愛着は“育て直す”ことができる
愛着障害は“壊れた愛の跡”ではなく、
“もう一度、自分を育て直すチャンス”だと、今は思っています。
「誰かに満たされたい」と思う気持ちを責めずに、
少しずつ“自分で自分を安心させる”力を育てていく。
それが、私にとっての回復の形です。
*この文章を読んで、「自分にも似た感覚がある」と感じた人へ。
愛着障害や依存は、“人と深く関わりたい”という自然な願いの形でもあります。
その願いを、どうか大切にしてあげてください。
変わりたいというあなたの心の声を聞いてあげましょう。
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