道化を演じてしまった10代の話

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高校で“面白い自分”を演じていた私が、美術サークルで気づいたこと

高校の頃、私はクラスの上位グループに“なんとなく”混ざっていた。
でも、正確に言うと最初からそこにいたわけじゃない。

入学してすぐ、クラスには少し問題のあるヤンキー気質の女子がいた。
なぜか私はその子に最初から強く嫌われていて、理由もわからないまま、静かに避けながら過ごしていた。

その子はいわゆる陽キャでクラスの人気者だったんですが、
ある時から同級生のキャッシュカードを勝手に使ったり、
借りた物を返さなかったりと、じわじわと反社会的な行動パターンを繰り返すようになり、
突如学校中を巻き込む騒ぎになったということがあり、
最終的に、その子は退学になりました。

彼女がいなくなった瞬間、クラスの空気はガラリと変わったのを覚えています。
まるで一匹の猛獣が捕獲されたかのような安堵感とでもいうのでしょうか?
その節目から、それまで距離のあった上位グループの子たちが、急に私に話しかけてくるようになったのです。

「話すと意外と面白いじゃん」
そんな感じで好意的な視線が向けられ、自然と私はその輪に引き込まれた。

そして気づけば、“面白役”としてそこに君臨するように。

笑いが起きると安心する。
でも、内側ではちょっとずつ疲れていく。
私はその中ではいつもなんとなく疎外感を感じていたから。

それを強く感じたのは、他の科の仲のいい子が私を誘いに教室へ来たとき。
その瞬間、グループの子たちの表情がさっと変わるのがわかった。
私には彼女たち以外の場所に自分の世界があることへの嫉妬だったのか?
誰も何も言わないのに、空気が少し冷たくなる。
私の居たい場所はどこにあるんだろう?
あの感じは、今思い出しても胸がざわつく。

放課後、美術サークルに行くと、その緊張がすーっと抜けていく。
ここでは、無理に面白くしなくてもよかった。
アートが好きで個性的な子たち。感性も合うしノリも合う。
黙っていても嫌な空気にならないし、気を張らなくても存在を認めてもらえる感じがありました。

家庭で覚えた「笑わせると安心が返ってくる」というクセ

高校で“面白役”を演じていた理由は、その場だけのものではなかった。
もっと前──機能不全家庭の中で、知らず知らずのうちに形づくられたものだった。

母が不機嫌な日は、まるで洞窟に放り込まれたような孤独感。
話しかけても冷たく返されるような日もしょっちゅうでした。
そんな環境のなかで、子どもの私は空気を読むことに長けていったというわけです。

そして、家族が笑った瞬間だけ、
親がこちらをまっすぐ見てくれることに気づいてしまった。

笑わせる → 空気が柔らかくなる → 否定されない
このループが、小さな私にとってはとても大きな“安全”でした。

だから私は、
「面白い私でいるほうが、世界は少しだけ優しくなる」
と信じ込むようになっていたんだと思うのです。

それでも私は、いじめにも遭ってきた

そうやって身につけた“笑わせる私”も、多感な10代前半のころ、
絶対的な武装にはならず、完全に守ってくれるわけではなかった。

同級生からいじめられた時期もあったし、
“かわいげのない子ども”と思われていたのか、
特定の教師や大人から冷たく扱われていた経験もあります。

彼らには私はどう映っていたんだろう?

いじめの理由を考えても、いまだにはっきりとした答えは出ない。
学習障害があったり、人とおなじことができなかったりはしたものの、
誰かに何かをしたわけでもないのに私の何が癇に障ったのか、
何が“標的にされる理由”だったのか、
考えれば考えるほど霧のように曖昧になる。

その説明のつかなさが、
私をさらに「演じていたほうが安全だ」という考えへ押しやっていたのかもしれませんね😥

ユング心理学でいう“ペルソナ”としての自分

ユングは、社会の中で身につける“仮面”をペルソナと呼びました📚

私にとってのペルソナは、家庭で身につけた「ピエロ担当」であり、
人間関係のトラブルを避けるための“安全装備”でもあったのです。
今考えるとそこまでうまく立ち回っていたわけではないからこそ虐めにも遭っていたのですが、
その前身は高校時代に仕上がっていったような気がしています。

  • 空気を明るく保つ
  • 自分の本音は飲み込む
  • 誰かの機嫌を先に察する

これは性格というより、環境に適応するための技術のようなものでした。

ユング的にいえば、私はそのペルソナを“本物の自分”だと思い込もうとしていた時期も確かに存在するのです。

美術サークルで感じた「仮面がいらない場所」

そんな私が美術サークルで自然でいられたのは、
ここがペルソナを必要としない場所だったから。

  • 無理に明るくしなくても嫌われない
  • 変わり者のままでいてもいい
  • ご機嫌取りをしなくていい

ここで私は初めて、
「演じない自分って、こんなに楽なんだ」
と知りました。

ユングの言葉で言うなら、ここで私は少しだけ
セルフ(本来の自分)
に触れていたのかもしれない。

どの自分も私だった

家庭がくれた(と、いうより奪い取った)生き抜く知恵も、
高校で身につけたキャラも、
美術サークルで出会った自然な自分も、

全部ひっくるめて“私”だったのではないか?と今では自分なりに納得。

演じている自分も私自身でありながらも、
ふっと肩の力が抜けるような場所にいる時の私も、
その二つの人格はちゃんと存在していたのです。

人はみんな、環境にあわせてペルソナを使い分けながら、
安心できる場所に出会うたびに、自分へと戻っていきます。

あの頃の私は、その途中にいただけだったのでしょうね…💡

最後に —— 生きづらさを抱えているあなたへ

もし今、
・人の顔色を気にしてしまう
・自分の気持ちがよくわからなくなる
・家庭環境の影響がずっと心に残っている
・「演じる自分」から抜け出せずしんどい

そんな思いを抱えているとしたら、
それはあなただけの問題ではありませんし、悪いことでもありません。
これまで、そうせざるを得ない環境で一生懸命やってきた結果なんだと思います🍀

心のクセは、急に変えようとしなくて大丈夫です👌
人はそれぞれのペースで、自分を取り戻していけます。
あなたのペースで安心して自分でいられる場所を少しずつ増やしていきましょう💡

もし、胸の中のモヤモヤを誰かに聞いてほしいな、
少しだけ気持ちを整理したいな、
そう思う瞬間があれば、どうか気軽に頼ってください。

あなたのペースに合わせて、一緒にゆっくり考える私がここにいます。
必要なときに、そっと声をかけてもらえたら嬉しいです☺️🍀

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