母との共依存を抜け出す三つのステップ

愛着障害

―愛しているのに離れる理由―

はじめに:母との関係に「苦しさ」を感じていませんか?

「母が嫌いなのに、見捨てるようで罪悪感がある」
「距離を置きたいのに、心のどこかで母の顔色を窺ってしまう」

そんな“母との共依存”に苦しむ人は多いと思います。
私もそのひとりでした。

19歳位のとき、私は一刻も早く母と離れたかった。
一緒にいたら、支配される。
それがもう感覚として分かっていたんです。

でも、家を出たあとも母のことが頭から離れなかった。
母の笑顔が見たくて、母に優しくされたくて、
心のどこかで「母に気に入られたい」と思い続けていました。

一旦は家を出て都会に出向き、自立して住む場所も点々としましたが、
結局は母の住む地域から3駅離れた場所に住むようになりました。

私は、やはり母からいつか認めてもらえるという期待を抱いていました。
母の日も、母の誕生日も、クリスマスも──
毎年、小さなプレゼントとカードを送り続けていました。
母が少しでも喜んでくれたら、それだけで報われる気がしたから。

けれど、母の反応はいつも薄かった。
「ありがとう」と言われても、どこか他人行儀で、
そのたびに私は、また少し突き放されたような気持ちになっていました。

母がそれを見て少しでも笑ってくれたら、それだけで救われる気がした。
離れても、心は母の中にいた。
それが私の中の共依存でした。

STEP 1:母を「特別な存在」から「ひとりの人間」として見る

私は長いあいだ、母を“誰かが支えないと崩れてしまう人”として見ていました。
母親らしい愛情を見せられないのは、母の母が自死し母親の愛を知らないから、母が苦しむのは50代のころに後遺症の残る大病をした父のせい、母がいつも不機嫌なのは自分の人生を呪っているせい。そう思うことで、母を責めずにいられたんです。

私自身が崩れそうになっていたのに、それでも母を支えようとし続けた。
その感情は、いつの間にか“母を救わなければ”という使命感に変わっていきました。

母はいつも人の悪口や愚痴、不穏な人のうわさ話を私にぶつけてくる癖があり、機嫌が悪いと私にケチをつけて憂さを晴らす。私はそのサンドバッグのような存在でした。

それでも私は母を嫌いになれなかった。
むしろ「この人を変えてあげなきゃ」と思っていた。
もう少し優しくなれば、悪口や不機嫌をやめて、表向きの八方美人をやめて人と誠実に関われるようになれば、この人も幸せになれるんじゃないかと。

そう信じて、私は母を“教育”しようとしていました。
でも、それは愛情ではなく、共依存の形でした。
母を変えようと必死になるほど、私の心はすり減っていったのです。
私の人生は母の人生の延長でうまくいってはいけないものだ、という変な思い込み。

母も私も苦しかった。
けれど、どちらかが気づかないと終わらない。
だから私は、「母を変えることを手放す、母に認められることを諦める」と決めました。

自分の心と対話することができた結果、母を責める気持ちも、母を救いたい気持ちも、
どちらも自分の中の“子どもの私”から生まれていることに気づきました。

STEP 2:母の感情を“自分の中に入れない”練習をする

母はいつも誰かの愚痴や怒りを私にぶつけてきた。
そのたびに私は黙って聞いて、
母の感情を全部自分の中に溜め込んでいました。

気づけば私は、母のストレスを処理する“安全なはけ口”になっていた。
母の怒りも悲しみも、全部自分の責任のように感じていたんです。

ですが、この関係性には正直限界を感じていました。そして、成人に近づくにつれ心にふと浮かんだんです。「私はこの人の感情のゴミ箱じゃない」と。

そこから私は、心の中で線を引く練習を始めました。
母が何を言っても、
「これは母の問題。私には1ミリも関係ない。」
と心の中で何度も繰り返す。そして曖昧な笑みを浮かべて受け流す。

最初はうまくいかない。心を揺さぶられてしまう。
でも、繰り返していくうちに、母の言葉が心の奥まで刺さらなくなってきた。

母の感情を全部背負う必要はない。
そう気づいたとき、ようやく自分の感情を感じられるようになりました。

STEP 3:「絶縁」ではなく、「距離を保つ」生き方を選ぶ

母との関係を見直すとき、
多くの人が「離れたら冷たい人間になる」と感じてしまいます。
私もそうでした。

でも、離れることは敵に回すことではありません。
それは自分を守るための“選択”です。

電話の回数を減らす。
会っても短時間にする。母の不機嫌を受け止めない。
メッセージなどの返事を急がない。

そんな小さなことから距離を練習していきました。
最初は罪悪感でいっぱいだったけれど、
少しずつ、「母と自分は別の人間だ」という感覚が戻ってきました。

母の機嫌がどうであれ、私の一日は私のもの。
母の怒りが消えなくても、私の心は平和でいられる。
それが私にとっての回復でした。

まとめ:母を責めず、母から自分を取り戻す

共依存を抜け出すというのは、
母を嫌うことでも、母を変えることでもありません。
それは、母の中に住み続けていた自分を連れ戻すこと

母の笑顔を追いかけていた子どもの私も、
母を救おうとして空回りしていた大人の私も、
どちらも間違いじゃなかった。

ただ、ようやく気づいたんです。
母の人生は母のもの。
私の人生は私のもの。

今、私は母が住む東京から遠く離れた九州のとある街で暮らしています。
距離があることで、母の様子を遠くから見守るくらいの、ちょうどいい関係が保てています。
スープの冷めない距離などとよくいったものですが、それで例えたら温かいスープが冷製スープになるほどの距離感。ちょっとやそっとじゃ会えない距離。今では会うのは年2度ほど。
この距離により私の中から荒涼とした気持ちは完全に消え、とても穏やかな気持ちで毎日を過ごしています。

私はいまでも母を憎んでいません。
でも、母の中で生きることはもうやめました。
それが私の“共依存からの卒業”です。


🕊️
母との関係に疲れた人へ。
あなたが「離れる」ことを選ぶのは、冷たさではなく、
自分の人生を取り戻すための、誠実な選択です。

愛しているからこそ、距離を置いていい。
それが、あなた自身を守るいちばんやさしい方法です。

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