私は、毎日心理カウンセラーという仕事を通じて、愛着に関すること、自己肯定感に関することなどのお話しをクライエント様とさせていただいております。
「好きなことがわかりません。」
「趣味がありません。」
「休日に何をしたらいいのかわからないんです。」
そんなご相談を受けることがたびたびあります。
もちろん、すべてのアダルトチルドレンの方に当てはまるわけではありません。
ただ、子どもの頃から親の期待や他人の評価を優先して生きてきた方の中には、自分の「好き」や「やってみたい」という気持ちがとるに足らないことに思えてしまったり、「好き」を感じ取りにくくなっている方も少なくないように感じています。
私自身も、その一人でした。
学生時代の私は、英語だけは学年でもトップクラスの成績でした。
一方で、理数系や興味のない分野の学習がとても苦手で、英語の成績が全体を支えているような学生でした。
そんな私に業を煮やした母は、「あんたは英語しかできないからね」と、よく口にしていました。
「英語がずば抜けて得意」という事実も、「英語しかできない」という負の言葉に置き換えられてしまう。
そんな環境では、自分の強みを素直に受け止めることはできず、周囲の人たちと比較してはみじめに感じていました。
30代の頃、私は当時インターネットもADSLという環境の中、ヤフーメッセンジャーやアメリカのコミュニティーサイトなどを通じて、音楽という趣味の延長でたくさんの知人ができ、
成り行きで単身ニューヨークへ渡りました。
そして、成り行きで、自ら企画書を作成し、企業へプレゼンを行い、スポンサー企業の協力を得て、ジャズミュージシャンを日本へ招聘するイベントを企画・実現しました。
(その後も、何人かのアーティストを招聘し、イベントを企画するようなことをしていました。)
アーティストとの交渉や打ち合わせには、当たり前のように英語を使っていました。
当時、私が招聘したミュージシャンのツアーの広告は新聞にも大きく掲載されました。
「これ、私が企画したイベントなんだよ。」
そう言って母にその新聞記事を見せると、母は全く関心がないといった態度で、
驚くことも、喜ぶこともありませんでした。
記事をじっくり見ることもなく、「この子はわけのわからない子だ」といった反応で、何事もなかったかのように話は流れていきました。
その後も母は、私のフリーランスとしての仕事やライフワークを認めてくれることはありませんでした。
それどころか、
「あなたは英語ができるんだから、英語を生かした仕事をしたらどうなの?」
と、まるでとんちんかんなことを言うのです。(いや、すでにやってるし…。)
今振り返ると、母が言う「英語を生かした仕事」とは、外の人に自慢して回れるような「有名な企業への就職」で、「英語が堪能なキャリアウーマン」というブランド価値であって、
たった一人で企画を立て、人と人をつなぎ、スポンサーを探し、海外のアーティストと交渉しながら仕事をつくっていくことは、母にとっては単なる遊びとしか映らなかったのでしょうね…。😓
フリーランスで海外の人と交渉をすることなどは「ちゃんとした仕事ではない」「ヒッピーみたいなもの」と位置付けられていたように思います。
ですが、母に理解されなかったからといって、その経験の価値まで失われるわけではありませんでした。
私が少しずつ変わることができたのは、母が変わったからではありません。
母が介在できない外の世界に出たことでした。
ニューヨークで出会った人たち、日本で仕事を通して出会った人たちが、
「一人でそこまでやったんですね。」
「すごい経験ですね。」
と、ごく自然に声をかけてくれました。
その言葉に触れるうちに、
「私がやってきたことには、それなりに、ちゃんと意味があったんだ。」
そう思えるようになったのです。
それから少しずつ、自分で自分を認められるようになりました。
10代の後半ぐらいから好きでやりだしたDJも、一歩家の外にでたとき、
「あなたの趣味はなに?」と、言われると言葉につまっていたものです。
世間体を常に気にしている母の影響で、趣味とは「人に誇れるなにか」でなければいけないという強い思い込みがあったからです。
今では、「好きなことは?」と聞かれれば、読書や映画、音楽鑑賞と何のためらいもなく答えられます。
好きなものも、苦手なものも、自分なりにはっきりしています。
今では人が私をどう評価するかは、評価する側の問題であって私の問題ではない、そうはっきりと意識できるようになり、とても呼吸がしやすくなりました。
アダルトチルドレンの方が「好きなことがわからない」と感じる背景には、長い間、自分の気持ちよりも親の期待や他人の評価、世間体が認めるブランドを優先して生きてきた経験が影響していることもあるのではないかと感じています。
「好きなことがない」のではなく、世間の評価軸が前に来てしまい、「好きという感覚を後回しにして生きてきた」のかもしれません。
だから、無理に趣味を見つけようとしなくても大丈夫です。
「今日は何が食べたい?」
「どんな音楽を聴きたい?」
「どんな映画を観たい?」
そんな小さな問いを、自分自身に返してあげてみてください。自分の心の声に耳を傾けてみてください。
あなたにとって自分が一番のサポーターだということに気づくのはなによりも大切なことなのです。
そして、もし今いる環境で自分の価値がまったく認められないと感じているなら、一度、その環境の外に目を向けてみることも大切なのかもしれません。
私にとっては、それがニューヨークという場所でした。
でも、大切なのは場所そのものではありません。
親の価値観や、他人の評価軸だけが世界ではないと知ること。
自分を認めてくれる人や、自分らしくいられる環境と出会うこと。
それは、職場かもしれません。
趣味のコミュニティーかもしれません。
新しい人との出会いかもしれません。
自分自身が呼吸しやすい場所で心を癒し、ポジティブな経験を重ねる中で、
人は少しずつ「私は何が好きなんだろう」「私はどう生きたいんだろう」という感覚を取り戻していけるのではないかと、私は感じています。
この記事を読んで、
「なんだか自分のことかもしれない」
「ずっと人の評価を気にして生きてきた気がする」
「好きなことがわからない理由が、少しだけわかった気がした」
そんなふうに感じられた方がいらっしゃいましたら、一人で抱え込まず、お話を聞かせてください。
私は、愛着障害やアダルトチルドレン、毒親育ち、発達特性による生きづらさ、人間関係のお悩みなどを中心に、来談者中心療法を大切にしながらカウンセリングを行っています。
「答えを押しつける」のではなく、ご自身の気持ちや考えを一緒に整理しながら、「自分は本当はどうしたいのか」を見つけていくお手伝いをしています。
初めての方でも安心してお話しいただけますので、お気軽にご相談ください🌱
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