先日、アベプラにて、子連れ再婚について少し考えさせられる話題がありました。
私は以前から、子どもがいる家庭に血縁のない成人男性を入れることについては、慎重であるべきだと考えています。
これは「男性は危険だ」と言う極論を語りたいわけではありません。
すべての男性が性への倫理観がないとも思っていません。
ただ、私自身には、そう簡単に楽観視することができない経験があります。
私自身が受けてきた性的な被害
私は幼い頃から、大人の男性にも男児からさえも、何度も性的な境界線を侵害されてきました。
父親から性的な身体接触を受けたり、入浴中に裸を覗かれたりすることが日常的にありました。
また、兄からも、私が眠っている間に身体を触られるなどの性的な被害を繰り返し受けていました。
当時の私は、それを誰かに訴えることができませんでした。
ガスライティングが怖かったからです。
「そんなことを言っても誰にも信じてもらえないのではないか」
「寝ぼけていただけだと言われるのではないか」
「自分の記憶がおかしいと言われるのではないか」
そんな恐怖がありました。
家族の中で起きたことだからこそ、なおさら「なかったこと」にされてしまうのではないかという感覚がありました。
そのため、長い間、誰にも話すことができませんでした。
その事実をもう話してもいいやというか、自分の中でケリをつけるために、
うちの母は認知症の序盤程度の状態だったころですが、
東京を離れる前にようやく母に今まで私が男の家族から受けてきた性被害、近所の男児から受けた性被害、電車での痴漢行為などで苦しんでいた過去を話しました。
大人になってからというか、もう私自身たいがいな大人ですが、この人生の汚点を抱え続けてようやく話せたのが、ほんの6年ほど前のことです。
私が現在、インターネット上で兄について具体的なことを書かないのにも理由があります。
兄は現在も生きています。そして子どももいます。
私自身が受けた被害を公にすることと、その人の現在の家族にまで影響を及ぼすことは、別の問題として考えなければならないと思っています。
だから私は、ここでは個人を特定できるようなことは書きません。
けれど、「書かない」ということと、「なかった」ということは、まったく違います。
性欲があることと、性倫理があることは別の話
私が男性の性に対して懐疑的なところがあるのは、こうした経験を何度もしてきたからです。
もちろん、性欲そのものを悪いと言っているわけではありません。
問題は、その性欲をどう扱うのかということです。
相手が嫌がっている。
相手が眠っている。
相手が子どもで、自分より圧倒的に弱い立場にいる。
そういう状況であっても、
「これくらいならいいだろう」
「嫌がっていないから大丈夫」
「家族なんだから」
「冗談だから」
などと、自分に都合のいい解釈をして境界線を越えてしまう。
私は、そういう「ここまではOKだろう」という曖昧な感覚こそが怖いと思っています。
性暴力というと、誰が見ても明らかな暴力を想像する人が多いかもしれません。
しかし実際には、人の身体や心の境界線を「このくらいならいいだろう」と勝手に判断するところから、性的な侵害は起こります。
だから私は、男性を見るときに「性欲があるかどうか」ではなく、
自分の性欲を自分で律する倫理観を持っている人なのか。
というところを非常に重要視します。
子連れ再婚では、恋愛とは別の判断が必要
ここが、今回私が子連れ再婚について書こうと思った一番の理由です。
大人同士の恋愛であれば、
「この人は私を大切にしてくれる」
「優しい人だ」
「一緒にいて安心できる」
ということは、とても大切な判断材料になるでしょう。
しかし、子どもがいる場合は、それだけでは足りません。
その人は、子どもにとって安全な大人なのか。
ここを別の視点から考える必要があります。
親にとって「良い恋人」であることと、子どもにとって「安全な大人」であることは、同じではありません。
恋愛感情があると、相手の良いところを見ようとします。
「子どもにも優しい」
「子どもが懐いている」
「私のことを大切にしてくれる」
そんな姿を見れば、「この人なら大丈夫」と思いたくなるのも自然なことです。
でも、子どもの生活圏に新しい大人を入れるということは、恋愛相手を選ぶこととは違います。
子どもは大人と同じように、自分の身を守ることができません。
親が「この人なら大丈夫」と判断した相手であっても、子ども自身からすれば、拒否することも、逃げることも、被害を訴えることも難しい場合があります。
だからこそ、慎重である必要があるのだと思います。
「良い人そう」だけでは、子どもの安全は判断できない
人は、最初から「危険な人です」という顔をして現れるわけではありません。
むしろ、普段は感じが良く、表面的には優しく思いやりがあり、社会的にも普通に生活している人であることもあります。
だから、
「そんなことをする人には見えなかった」
という言葉が、後になって出てくることがあります。
もちろん、だからといって誰も信用するなという話ではありません。
ただ、
「良い人そうだから大丈夫」
という判断だけで、子どもと大人の距離を決めてしまうことには、慎重すぎるぐらいでもいいのではないかと、個人的には感じています。
特に、子どもと血縁のない大人を家庭に迎えるのであれば、
その人が子どもの身体的な境界線を尊重できるのか。
嫌がることを「子どもだから」「冗談だから」と軽く扱わないか。
子どもとの適切な距離感を理解しているか。
自分の欲求を優先せず、相手の意思を尊重できる人なのか。
そういったところを、時間をかけて見ていくことが必要なのではないでしょうか。
子連れ再婚を否定したいわけではない
私は、子連れ再婚そのものを否定したいわけではありません。
お父さん、お母さんも若ければなおのこと、自分自身の幸せは尊重されるべきだ、という認識はあります。
新しいパートナーと出会い、親子で新しい家庭を築いていくことは、決して悪いことではないと思っています。
ただし、
親にとっての恋愛と、子どもの安全は別の問題です。
「私がこの人を好きだから」
「この人は私に優しいから」
「子どもにも優しくしてくれるから」
それだけではなく、
「この人を自分の子どもの生活空間に入れて、本当に大丈夫なのか」
という視点を持ってほしいと切に願っています。
私自身、幼い頃に家族という最も身近な場所で性的な境界線を侵害された経験があるからこそ、こうした問題については、どうしても慎重になってしまうのです。
男性すべてを疑っているわけではありません。
ただ、私はもう、性暴力や身体的・精神的暴力について、
「普通の人なら、そんなことはしないでしょう」
という性善説だけでは、子どもの安全を考えられないのです。
子どもにとって家庭は、本来、一番安心できる場所であってほしい。
だからこそ、その家庭に新しい大人を迎えるときには、恋愛とは別の目で、その人をじっくり見極める必要があるのだと思います。
心理カウンセラー|ルーム718として活動しております。

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